麻倉もも Live 2020 “Agapanthus” 感想

コロナは私に声優に対する感情を失わせた。ライブにもイベントにも通えず、生ける屍のような声優オタクは言葉通り死のうとしていた。最後にライブに行ったのも去年の12月なのでほとんど1年間一切生で声優を見ることもできず、そんな状況では感情が失せたような気になるのもやむなしだと自分でも思う。

TrySailは元々好きだった。特に麻倉ももに関しては本来4月から予定されていた全国ツアーにも申し込んで当選もしていたため非常に楽しみにしていたのだが、コロナにより中止。以降、私のTrySailへの熱は冷めていった。ラジオも聴かなくなり、8月にあった有料配信のスタジオライブやYouTubeの特番も観なかった。今回のライブにも行かないつもりで、ポータルスクエア(トラセのファンクラブのようなもの)の先行申込にも応募しなかった。しかし、仮にも一時期ハマっていたユニットのメンバーである、このままフェードアウトするにはあまりにも悲しいと思い、別枠で申し込んだ。両日当選した。両日行くことにした。

 

11月14日。朝から快晴だった。昼に別件があり早々に家を出た。

別件でかなり満足した状態で会場に向かった。客層は自分と同年代の若いオタクが過半数だったように思う。女性もチラホラといた。いつものトラセライブと同じメンツといった感じだ。席は3階席の端っこ。舞台から一番遠い位置で麻倉の顔はもちろん動きさえもあまり見えず、スクリーン画面もよく分からなかった上に、どうせ叫べないなら要らないかとペンライトを持ってくることもしなかったため、イマイチ盛り上がれなかった。局所的に好きな曲で盛り上がることはできたが、要はその程度で、全体としては終始真顔で見ていた。ちなみに隣の席のオタクも真顔だった。FUCK天空席。

冒頭、「ももです」と映像がスクリーンに映し出される。部屋で手紙を書いている麻倉もも、シンプルに絵になる、可愛い。麻倉が途中で明かしたところによると今回のライブは手紙をテーマにしているらしい。知ってた。手紙書いてる映像流してる時点で知ってた。この映像は以降も合間合間に挿入された。どうやら遠くにいる友人に近況を報告したり、会う約束を綴ったりしているようだ。この友人とはファンの暗喩だろう。これもまた明確である。一緒にライブに行こうね、とまで言っているのだから。仮にこれが彼氏宛などだったらブチギレて天空席から身を投げている。

曲に関して。まず最初のAgapanthusで声を詰まらせた場面が印象的だった。本人曰く泣きそうになったとのこと。コロナ禍の現状、特に一度は中止となり、また感染者数増大のニュースが巷を賑わせている中で、本当に人が来てくれるのか、不安に感じていたのも当然だろう。私はあくまでも数字としてしか、定量的な存在としてしか彼女に貢献できない。しかし、それで彼女が報われるなら、私は一ファンであり続けたい、そう思った。

声を出さないからこそ振り付けで会場の一体感を感じさせた「妄想メルヘンガール」や「Shake it up!」、快活でダンスもキレキレな「スマッシュ・ドロップ」、明るく可愛らしい「トキメキ・シンパシー」、スクリーンを活かした演出で魅せた「Twinkle Love」、熱く盛り上がれる「秘密のアフレイド」、これまでのライブで洗練されて安定感のある「明日は君と。」や「Good job!」などなど楽曲の強さを再認する良質なセトリであったが、特筆すべきはやはり年齢を重ねたことによる「大人もちょ」が存分に発揮された「さよなら観覧車」や「今すぐに」であろう。会いたくても会えない恋人、もう会うことのできない恋人、恋愛に伴う「距離」の問題を成熟した感性で歌い上げたこれらの楽曲は、コロナ禍で会うことの叶わなかった我々ファンと麻倉の距離感と同型である。この意図せざる偶然の一致こそ、ライブの醍醐味であり、生きることそのものなのではないか。アンコールで披露された「365×LOVE」の「1年に1度のChance」という歌詞も、会えなかった時間の経過が良い意味で身に染み、なんとも言えない味わいであった。家で聴いている分には普通の恋の歌が、ライブで歌うとファンとの関係性を含意した楽曲に化ける事実、これは麻倉ももの強みの一つだろう。

 

11月15日。この日も朝から快晴。前日の疲れが溜まっていたわりにすんなりと目が覚めた。流石にペンライトが無かったのは失敗だったと思い、今回は早めに行って物販で購入した。自分の過去の経験に照らし合わせても、ペンライトのないライブはイマイチ盛り上がった記憶がないし、逆にペンライト振り回して叫べば席遠くても満足してしまうのが私という人間なのだ。2日目の席も3階席、ただし一番ステージ寄りの席だったので前日よりはよく見えた。

基本的にセトリは前日と似たような感じだったと思う。よって付け加えることはあまりないが、席位置のこともあってダンスもそれなりによく見えたし、同じ曲でも前日より楽しめたことは確かだ。前日のセトリにない曲で披露され印象に残っているのは、「花に赤い糸」だ。サビ前の「あ〜あ〜」と心の底から叫ぶようなフレーズ。あの細かな心情表現は麻倉の真骨頂だと思うが、リリースから3年以上を経て、より磨きのかかった歌唱には流石に唸らされた。

さらにアンコール「No Distance」披露からの、「Social Distance だけど心は No Distance だよ」で発狂。やはり麻倉の楽曲全般に通底するテーマは「距離」なのだと改めて納得したし、今回のライブではそれがかなり明確に示されていたように思う。天晴な演出である。

2日目は1日目とは段違いに楽しめた。2日目の記憶で1日目の中途半端な気持ちがすでに上書きされているほどだ(だから真顔だったとか言いつつ感想には熱が入っている)。これは席位置やペンライトの有無などの外部的要因が主なものだと思うが(「ポータルスクエア会員先行申込でなるだけ良席確保の可能性を高めること」と「ペンライトは欠かさず持っていくこと」は個人的な反省点として強く意識しておきたい)、セトリの組み合わせ方など1日目とのパフォーマンス上の変化も見逃せない一因だろう。単日参加者も両日参加者も、どちらも楽しめる考え抜かれた構成だった。

また、ライブの楽しみ方自体を私が忘れてしまっていたことも、1日目を中途半端にしか楽しめなかった要因としてあるだろう。ライブで盛り上がる経験からしばらく遠ざかっていたため、雰囲気やタイミング等々の感覚を思い出すのに苦労したのだと思う。ダラけきった心身を鍛え直す、良いリハビリになった。ライブとは演者のみならず、自分自身とも向き合う体験なのだと再確認した。

 

最後に一つ。1日目も2日目も、アンコール前のトリで披露されたのは、つい先日発売された「僕だけに見える星」である。今回ライブで歌われることでこの歌には二重の意味が込められる。我々ファンからすれば、麻倉ももこそが星である。そして、おそらく麻倉ももからすれば、我々ファンの存在こそがまた星なのだ(サイリウムの光がここで隠喩的な寓意を帯びることは言うまでもない)。

アイドルや芸能人と一般人との距離が短くなったとは、昨今流布する強力な言説であるが、それでも現状、我々ファンと麻倉との距離はそれこそ星と地球ほどの遠さであると言っても過言ではない。しかし、その遠さこそ、その距離こそが、愛おしさを募らせ、想いを深めるのではないだろうか。MCで麻倉が言った、「今年は私にとって当たり前であることが当たり前でなくなってしまった年だった」という発言がここで思い起こされる。我々にとって麻倉ももに会えることが当たり前ではなくなってしまったように、麻倉ももにとっても我々ファンに会えない日々は当たり前ではなかったのだ。「いつものようにそこに君がいる」ことが当たり前ではなくってしまったからこそ、今回のライブは、「いつまでもここに君といたくて」と強く思う、特別な、当たり前ではないものになったのではないか。この曲が特に美しいのは、麻倉と我々との貴い距離感を歌い上げつつも、「思い浮かべればまたいつだって変わらないまま輝くよ」と、「心はNo Distance」であることをもまた表現している点である。再開の悦びと未来へと持続する希望を託したこの楽曲は、今回のライブのテーマに見事に合致しており、トリに歌うに相応しいものだったように思う。

 

総論。またもちょに会いたい。そう思える素晴らしいライブだった。