聖地巡礼(竹原編)
どうも、ワンダです。
私が愛してやまないアニメの一つに『たまゆら』がある。
前々から行きたいと思っていたが、タイミングがなくて行けず。ということで、夏休みを利用して今回行ってくることにした。
9月某日、竹原駅に着くなり目に入るのがこの「おかえりなさい」の文字列である。これは『たまゆら』内でも印象的に用いられているため、実際に目にした瞬間は感動を禁じ得なかった。
聖地とは、本来特定の宗教における本山を指す。つまり人が生まれ、帰る場所が聖地である。その意味でこの文字列は聖地竹原にふさわしい。
駅のすぐそばにある観光案内所にはこのような絵が掲げられている。
多少古ぼけてはいるが、それが『たまゆら』が竹原にとって重要な作品であることを物語っている。
荷物をホテルに預け、市内を散策した。
『たまゆら』を特徴付けるのはその古風な町並みである。実際に訪れたことがなかったにも拘らず、どこか見慣れた風景である。
この石畳を歩くと、自分がぽってたちと同じ空間にいるような感覚を覚える。
テレビシリーズ1期『hitotose』OP冒頭の階段である。運動不足のせいか、実際に登るとなかなか疲れた。
寺の中には見慣れた建築が並ぶ。ぽってたちの遊び場の一つである。
こちらも同じくOPにも出てくる、ファンにはお馴染み、ぽってが写真の現像に来る写真館である。もうすでに写真館としては廃業しているようだ。
ぽってたちが「わたしたち展」を開催した場所である。実際には旧笠井邸と呼ばれており、内部には『たまゆら』関連の展示の他、竹原名物である製塩についての展示がある。
「cafeたまゆら」のモデルとなったお店である。タイミングが合わず来店することは叶わなかったが、外観からでもその雰囲気は十分に伝わる。
こちらは「ほぼろ」のモデルとなったお店である。ぽってたちが放課後の飲食や待ち合わせなどによく使っていた。
このかかえ地蔵はアニメ内でも時たま登場する。作中では、竹原を訪れたちひろが軽々と持ち上げるシーンがあるが、実際に抱えてみるとなかなかの重量であり、容姿に似合わずちひろは案外剛腕なのだと思った。
作中で頻繁にぽってたちが通る商店街にも行った。こちらも聖地にはお馴染みの光景である。
作品のマスコットキャラクター的な存在であるももねこ様の石像を発見。町を歩いていたら偶然遭遇するのがももねこ様の特徴であるが、この遭遇も全くの偶然であり、ぽってたちの感覚を追体験したような気分になった。お祈りした。
とある寿司店ではサインを見つけた。ご主人に話を伺ったところ、長期シリーズなだけあり、毎年のように竹原を訪れる年単位の常連客もいるそうだ。私のように2020年に初めて訪れる人はだいぶ珍しがられた。
町の中心から少し離れると、畑や川が広がる。これは『hitotose』OPの最後に映る賀茂川の下流である。天気のせいもあり、流石にアニメ映像のように空が眩しいくらいに水面に反射することはなかったが、それでもこの奥行き感はまさにアニメで観たものに一致する。
『たまゆら』という作品の持つ温もり、それは古き良き原風景が我々を一般的な懐古に導くことによるものだけではない。竹原の古き町並みはぽっての父の表象である。
竹原は小さな町である。私は自転車を借りて移動に用いていたが、自転車を使えば基本的な場所はほとんど回りきることができた。その町の小ささこそ、ぽってを十全に包み込むものであると同時に、ぽってが『卒業写真』において上京について悩むことを理解できるほどに、若者にとっては狭苦しく感じる所以にもなっている。これはすなわち父の両義性である。父親は庇護者として頼りになる一方で、その権力からの逸脱を若者は望むが、それでもたまには帰ってきて「おかえりなさい」の言葉を聞きたくなる。この感覚は町を自身の足で歩いてみることで掴み取れる種類のものだ。聖地巡礼の面白さとは、キャラクターたちが過ごした(とされる)町を実際に肌で感じることで、キャラクターたちの行動や感情をよりリアルに受け止め、また映像表現に潜む演出の意味を深く理解することにあると私は考える。聖地に訪問して行うべきはアニメを観ることである。聖地はアニメを観たから行くのではない、アニメを観るために、アニメをより深く理解するために行くのだ。つまり私が今やるべきことは、『たまゆら』を観ることである。