俺ガイル完第1話最速レビュー

どうも、ワンダです。

 

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』の放送が開始した。

私はこの作品の以前からのファンで、原作もすでに最終巻まで読破しており、今回のアニメ版完結編を待望していた。何しろ、私が俺ガイルに触れたのはアニメがきっかけであり、アニメで最後まで描いてくれないことには私の中の俺ガイルは完結しないのだ。江口拓也早見沙織東山奈央があの3人を演じてくれないことには終わりようがないのだ。終わることに一抹の寂しさはあれど、終わらないと始まらず、そもそも「どのように終わりどのように始めるか」は俺ガイルとテーマの一つでもある。終わりを期待しないのはファンとして不十分な態度だ。だから私は俺ガイルが完と題してくれたことに敬意を表するし、完を見届けられることに一種の誇らしさすら感じる。

そんな思い入れの強い、否、強すぎる感すらある俺ガイルという作品についての総論は、アニメ最終回放送後にでも書こうと思っているので、今回は1話を観て感じたことをとりあえず思うままに書いていきたいと思う。

なお、がっつりネタバレを含むので、まずは本編を観てから、なんなら原作を読んでから、目を通していただきたいと思う。

 

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さて、最初から順を追ってみていく。

2期最終話の終盤から引き続く形で本編は始まる。雪ノ下の依頼をみんなで引き受ける場面だ。

ここから飛んで、夜の場面。雪景色が美しい。そして主人公比企谷八幡のモノローグ。俺たちの俺ガイルが始まったな、という気持ちになる。この抑えめな江口拓也の演技が作品全体を支える。自分たちの現状と未来を、静かに真剣に見つめようとする姿勢が伝わる。自販機に近づく八幡。ファンにはお馴染みのマッカン購入で笑顔になる。

OPに突入。やなぎなぎの新曲『芽ぐみの雨』とともに流れる映像たち。冒頭の雪景色が美しい(2回目)。3人の憂いを帯びた表情もたまらない。次々に登場するお馴染みのキャラクターたちが懐かしい。サビを飾るのは今作の中心となるボールのダンスシーンだ。これが作品への期待感を高める。部室に1人佇む雪ノ下は何を見つめているのだろうか。

 

Aパートは、原作12巻の最初から58ページまでが描かれる。セリフも一部の言い回しを除いて正確に再現されている。

八幡が買ってきなペットボトルを差し出すシーン、雪ノ下と由比ヶ浜が財布を出そうとし、それを無言で拒否する八幡、細かい芝居作りだ。言うまでもなく俺ガイルは徹底した会話劇として構成されているが、映像面の丁寧な芝居が、その会話劇を際立たせている。制作陣の熱量が感じ取れる。

八幡の冗談、雪ノ下の毒舌、由比ヶ浜のツッコミ、すべてが懐かしい。視聴者は俺ガイルの世界に戻ってきたのだと感じる。

彼らは回想する。自分たちの出会いであり、はじまりである、お菓子作りを思い出す。このシーン、1期1話の内容なので実は制作会社が違う。ブレインズ・ベースが描いた作画部分を、feel.で独自に描き直しているのだ。1期をなぜfeel.ではなくブレインズ・ベースが製作したのかは定かでないが、俺ガイルの歴史を、feel.自身の手でなぞり直そうという意図を感じる。これを大切なポイントだろう。我々は登場人物と、さらには制作陣とともに、過去を振り返るのだ。

繰り広げられる会話。平和だ。このやりとりをもう続けられないと、彼ら自身が自覚しているかのように、虚構にも似た平和なムードが醸し出される。『春擬き』のBGMが哀愁を誘う。

雪ノ下の名前の由来。母が決めたという自分の名前のルーツを、その母本人からではなく姉から聞かされた雪ノ下。これは何を意味するのか。安直な名から親が自分に無関心なことを感じ取ったのだろうか。それとも、親と繋がれない希薄な関係性を想起したのだろうか。または、それ以外の何かだろうか。

雪ノ下の話。雪ノ下自身の話。雪ノ下は何をしたいのか、どうしたいのか。昔は親の仕事をやりたかったと語る雪ノ下、しかし母がなんでも決めたせいで己で決められないと語る雪ノ下。ちゃんと考えて納得して諦める姿を2人に見届けてほしい、それが雪ノ下の依頼。由比ヶ浜は疑問を投げる。それが本当の答えなのか、と。もしかしたら違うかもと、雪ノ下は応じる。しかし、ちゃんと始めるために必要なのだと、雪ノ下は言葉を続ける。少なくとも間違いではないはずだ、と。由比ヶ浜も、それも答えだと、肯定する。正解なんてわからない。答えなんて決まらない。それでも、「間違いでないもの」を積み重ねることでしか、彼らは前に進めない。だからこそ、「間違いでないこと」を、彼らは選択していく。

陽乃のマンションに着いて、Aパートは終了する。

 

Bパートは、同100ページから150ページまでが描かれる。こちらも一部シーンのカットはあれど、セリフはほぼ正確に再現されている。

八幡が自室で起床するシーンから始まる。

机上にあるお菓子の袋を確認し、自分たちの選択を再確認する。

高校入試の面接試験に向かう妹の小町との軽口の応酬。楽しい会話だ。これも俺ガイルの魅力の一つである。

八幡は、散歩の途中で、川崎姉妹に遭遇する。

ここでも軽妙な会話が展開される。コミュ障のはずの八幡だが、川崎京華には随分慣れた様子で優しく接する。幼い時から小町の面倒を見てきたからだろう。どれだけ八幡が小町を可愛がってきたのかが、八幡の京華への態度から逆説的に際立たされる。

八幡が発した小町への「愛してる」に反応する川崎。雪ノ下と由比ヶ浜が見事な演奏を披露したあの文化祭を思い出す。そこで、八幡は川崎に屋上への行き方を尋ね、教えてくれた川崎に対して、「愛してるぜ」と軽口を叩く。この「愛してる」と小町に言うシーン、実は原作にない。小町との軽口のシーンは勿論あるが、このセリフはない。よって、ここには演出上の意図がある。それは何か。文化祭の演奏シーンは、1期最終話で描かれるのだが、八幡が相模を探している肝心のシーン、1期では材木座に電話で隠れやすそうな場所を訊くところまでしか描かれておらず、続く川崎へ尋ねるパートがカットされているのだ。今回、原作にあるこの川崎とのパートを再現したことには当然意味がある。一つは、俺ガイルの名場面を視聴者と振り返るとともに、feel.の手で俺ガイルをなぞり直すため。必然性をもって回想シーンを挟むには、登場人物に過去を思い出させるのが一番自然である。もう一つは、川崎というキャラに決着をつけるため。川崎は八幡のことを好意的に見ている。これは恋愛感情ではないのだろうが、男性として見ていることは間違いないだろう。その川崎の感情に、彼女なりの折り合いをつけさせるシーンとして、原作にはないオリジナルのセリフが挿入されたのだと思われる。

八幡と小町は家に帰る。夕食を作ったり、コーヒーを入れたり、八幡の世話をせっせと焼く小町。兄に面倒を見てもらっていた自分が、今では成長して色々とできるようになったと自慢げに言う小町。そして、小町は三つ指ついて兄にお礼をする。お世話になりました、と。嫁入り前のようだと言って初めて感情を知ったロボットのように八幡は泣き出す。そして小町は、目に薄く涙を浮かべながら、その場を立ち去る。感動的で、小町的にポイント高いシーンだ。なぜ、小町はこのように仰々しいことしたのか。それは、八幡が自分を可愛がってくれていたと知っているからだ。八幡はぼっちである。友達がいないのだ。では一般に友達と遊ぶ時間を八幡は何に費やしてきたのか。自分でできる読書やゲームもあるだろうが、小町と遊んであげていたのではないか。時に軽口を叩き合いながらも、八幡の小町への愛情は、俺ガイルという作品全体を通じて強調されてきた。それが八幡の足枷にもなっていると小町は考えたのではないだろうか。小町は知っている。八幡が前とは変わろうとしていることを、前とは変わってきていることを。雪ノ下や由比ヶ浜と出会い、触れ合うことで、八幡は確実に変わりつつあるのだ。それを小町は応援したいのではないか。今まで自分の面倒を見てくれた兄に、私はもう大丈夫です、あなたはこれから自分のことを頑張ってくださいと、言わんとしているのではないか。その意味で、これは兄離れであると同時に、八幡の妹離れでもあるのだ。だから、その寂しさを甘受して、小町は八幡の背中を押すのだ。

お兄ちゃんと八幡を可愛げに呼ぶ幼き日の小町を思い出して、八幡は寂しげに、だが同時に誇らしげに、カマクラに話しかける。ここでBパートは終了する。

EDに突入。

今度はカリカチュアされているが、また雪が降るシーンから始まる。今作の徹底して雪を描いていく姿勢が伝わる。(雪で三角関係といえば『true tears』がある。あれも大変面白い。私は個人的に雪と美少女の対応関係が大好きなのだ)

雪ノ下と由比ヶ浜の笑顔が、強い印象を与える。この先の困難な展開を想像させつつも、同時に希望を感じさせるような、そんな表情が、『ダイヤモンドの純度』の歌唱を背景に映し出されていく。感動的だ。

 

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以上が1話のあらましである。

お気づきかもしれないが、AパートとBパートの間で、原作では50ページ分ほどの開きがある。このシーン、今後のネタバレになるので深く言及することは避けるが、端的に言うと陽乃とのやりとりがある。このシーンはおそらく2話以降に持ち越されると思われる。では、なぜこのシーンを1話の段階で敢えてカットしたのか。まず、1話の段階で作品の核心に踏み込むことを避けたのだろうということ。今作は前作から5年の時間的ギャップがある。だからこそ、視聴者と前作までの流れを振り返る意味で、1話の段階でいくつかの回想シーンが挿入されたわけだが、いきなり物語の核心的な位置付けにある陽乃とのシーンを出すと、視聴者がついていけなくなる可能性がある。これは原作でもすぐに小町とのシーンを出すことで中和を狙っていたが、それをよりわかりやすくアニメでは描いたことになる。また、小町との軽妙で笑いを誘うやりとりは、俺ガイルの雰囲気を視聴者に思い出させるとともに、上述したような小町の兄離れから雪ノ下と由比ヶ浜へ物語の比重が完全にシフトしたことを示す意図があると思われる。川崎の感情の決着を描いたのも、同じような狙いだと考えられる。これから紡がれるであろう雪ノ下と由比ヶ浜(と一色いろは)との展開と決着に、我々は不可避的に姿勢を正されることになるのだ。

 

以上、内容面からの1話雑感であった。

これからの2話以降も、同じように各話の感想を書いていきたいと思っている。お付き合いいただければ幸いだ。

 

追加:

2話以降のレビューが実は全然書けてません。よって放送終了後に総論としてまとめる形にしたいと思います。